写真を撮るのが好きだという人は多い。だけど撮った後の処理〜プリント〜見せるまで込みで考えている人は結構少ないと思う。
これまで写真の関係のワークショップに通ったり、写真のサークルに入ったり、写真好きの友達達、色んな人達と写真について話してきたが、写真を撮ったあとにPCで処理したり、プリンターで出力する際にサイズや用紙に工夫する人は少数派だった。
ワークショップに来るような人達はやはり意識が高いというか、色々とこだわりのある人が多かった。カメラ、フィルム、PCでの処理、プリントそれぞれに拘りもあり、他の人がどういうプロセスで作品を仕上げたかに対する関心度も高い。
サークルや一般の写真好きの人達だとパソコンでの処理やプリントへの関心の度合いはあまり高くなく、関心はあっても少しピントを外した見解の人も多い。
何が言いたいのかと言うと、写真行為において「カメラで被写体を写す」という部分は写真行為全体の半分(もしくはそれ以下)だと言う事。以前ワークショップに通っていた頃、師匠の渡部氏が「人に見せるという事」は非常に大事だと言っていた。
つまり「写真を撮る」、「写真を仕上げる」、「写真を見せる」の三つのプロセスが大事じゃないかなという事。
ちなみに人に見せる場合できればA4(または六つ切り)以上の紙にプリントした物をお進めする。モニター越しだと写真が実際よりも良く見えてしまう傾向があるように思うからだ。
ダメな写真は大きく紙にプリントすると非常につまらない物に見えるので、見る目が厳しくなって良い。
カメラで撮った後、写真をどのように仕上げて人に見せるのか、そもそもどんな写真をセレクトするのか。デジタルの時代だからこそ、もっと考えてみた方がいいんじゃないかと最近強く思う。
Friday, August 20, 2010
Wednesday, August 18, 2010
PCが....
先日作業用に使っているPCの調子が急に悪くなった。
使用中に自動的にシャットダウンプロセスに入ってしまう。再起動しても同じ、使用開始から十数秒〜数分でシャットダウンが始まってしまう。原因は不明、CPUの温度も疑ったが正常値だった。スパイウェアなどの仕業かと思い、シマンテックのソフトでチェックすると軽い問題が一つ見つかったけど、関係なさそうな感じだった。一応その問題は解決してPCを再起動するとシャットダウンの問題は起こらなくなった。
シャットダウンの問題が解決して数時間後、今度はキーボードのキーが入りっぱなしのような状態になり、マウスで何か選択すると↓キーが入りっぱなしになり、入力フォームに持っていくと「a」が入りっぱなしになるといった症状が出た。これは単純にキーボードがイカれたようだった。
そんなこんなで念のためにバックアップ用HDDや換えのキーボードを購入して余計な出費がかさみ2万数千円程の金が泡と消えてしまった。。。。
デジタルは一々金が掛かって仕方が無い。。。トホホ
使用中に自動的にシャットダウンプロセスに入ってしまう。再起動しても同じ、使用開始から十数秒〜数分でシャットダウンが始まってしまう。原因は不明、CPUの温度も疑ったが正常値だった。スパイウェアなどの仕業かと思い、シマンテックのソフトでチェックすると軽い問題が一つ見つかったけど、関係なさそうな感じだった。一応その問題は解決してPCを再起動するとシャットダウンの問題は起こらなくなった。
シャットダウンの問題が解決して数時間後、今度はキーボードのキーが入りっぱなしのような状態になり、マウスで何か選択すると↓キーが入りっぱなしになり、入力フォームに持っていくと「a」が入りっぱなしになるといった症状が出た。これは単純にキーボードがイカれたようだった。
そんなこんなで念のためにバックアップ用HDDや換えのキーボードを購入して余計な出費がかさみ2万数千円程の金が泡と消えてしまった。。。。
デジタルは一々金が掛かって仕方が無い。。。トホホ
Friday, August 06, 2010
「まにらで黄昏れ、酒を飲む」 その2
マニラのニノイアキノ空港に降り立つと、瞬間、ムワっとして空気に出迎えられた。
「ああやっぱりフィリピンは南国なんだな」
と日本との気温差(その時日本はまだ3月だった)にフィリピンを実感した。
さっそくタクシーに乗るため空港タクシーの受付に行き目的地であるオフィスの住所を伝える。結構ボッタくるらしいが俺にとっては初めての国だし、三田さんはそのあたりに頓着がないので安全も考えて空港タクシーにした。
乗り込んだタクシーの運転手に
「Please take us to this office.」
と言ってオフィスの住所が書いてあるメモを渡した。
オルティガスという所にあるそのオフィスに向かう途中、窓から町並みを眺めていた、
「結構汚れてて、煤けた感じだな。」
というのが第一印象だった。
椰子の木、青い空、極彩色でカラフル、何となく南国に対して持っていたイメージとは少し違って何となくモノトーン的に色を余り感じないといった印象を持った。
「どうだねフィリピンは?」
三田さんから突然聞かれたが、何と言って良いか判らず
「そうですね、まだ着いたばかりなので何とも。。。」
と曖昧に答えた。
やがてオフィスに着くとお世話になる別会社の社長(オフィスの一部を借りたり、現地職員を雇うのに助けてもらう)であるマイクが待っていた。
そのマイクの手引きで現地で当面暮らす事になる安ホテルの一室を案内してもらい、とりあえず皆で近くのレストランで食事をする事になった。
「ドウデスカ フィリピンノ リョウリハ?」
マイクは日本語が達者で、以前は日本でSEをやっていたそうだ。
「ええ、非常に美味しいですね。」
と答えたが、内心は「微妙」だと思っていた。
タイ料理やベトナム料理は非常に好きで日本でも何度も食べに行ったりしていたのだが、フィリピンの料理はそのどちらとも違って非常に独特な味付けだった。
結局あまり気が進まないフィリピン料理はソコソコにしておいて、主にビールを飲んでいた。
フィリピンのビールで有名なのはサンミゲールで何処のレストランに行っても大抵これしか置いていない。フィリピンでビールというとサンミゲールなのだ。
軽い飲み味で、クセがなく飲みやすい。フィリピンにいる間は毎日のようにコレを飲んでいた。
その後、とりあえずその日は仕事は抜きにしてホテルに荷物を置いて夜の繁華街を案内してくれるという話になり俺と三田さん、マイク、マイクの友人で繁華街へ出かける事になった。そしてこの時が結構大変だったのだ。
つづく
「ああやっぱりフィリピンは南国なんだな」
と日本との気温差(その時日本はまだ3月だった)にフィリピンを実感した。
さっそくタクシーに乗るため空港タクシーの受付に行き目的地であるオフィスの住所を伝える。結構ボッタくるらしいが俺にとっては初めての国だし、三田さんはそのあたりに頓着がないので安全も考えて空港タクシーにした。
乗り込んだタクシーの運転手に
「Please take us to this office.」
と言ってオフィスの住所が書いてあるメモを渡した。
オルティガスという所にあるそのオフィスに向かう途中、窓から町並みを眺めていた、
「結構汚れてて、煤けた感じだな。」
というのが第一印象だった。
椰子の木、青い空、極彩色でカラフル、何となく南国に対して持っていたイメージとは少し違って何となくモノトーン的に色を余り感じないといった印象を持った。
「どうだねフィリピンは?」
三田さんから突然聞かれたが、何と言って良いか判らず
「そうですね、まだ着いたばかりなので何とも。。。」
と曖昧に答えた。
やがてオフィスに着くとお世話になる別会社の社長(オフィスの一部を借りたり、現地職員を雇うのに助けてもらう)であるマイクが待っていた。
そのマイクの手引きで現地で当面暮らす事になる安ホテルの一室を案内してもらい、とりあえず皆で近くのレストランで食事をする事になった。
「ドウデスカ フィリピンノ リョウリハ?」
マイクは日本語が達者で、以前は日本でSEをやっていたそうだ。
「ええ、非常に美味しいですね。」
と答えたが、内心は「微妙」だと思っていた。
タイ料理やベトナム料理は非常に好きで日本でも何度も食べに行ったりしていたのだが、フィリピンの料理はそのどちらとも違って非常に独特な味付けだった。
結局あまり気が進まないフィリピン料理はソコソコにしておいて、主にビールを飲んでいた。
フィリピンのビールで有名なのはサンミゲールで何処のレストランに行っても大抵これしか置いていない。フィリピンでビールというとサンミゲールなのだ。
軽い飲み味で、クセがなく飲みやすい。フィリピンにいる間は毎日のようにコレを飲んでいた。
その後、とりあえずその日は仕事は抜きにしてホテルに荷物を置いて夜の繁華街を案内してくれるという話になり俺と三田さん、マイク、マイクの友人で繁華街へ出かける事になった。そしてこの時が結構大変だったのだ。
つづく
Thursday, August 05, 2010
カメラマンのレベルも色々
以前仕事でスニーカーのムック本を手がけた事がある。
画像はTiff入校、Exifを見ると撮影に使用したカメラはEOS 5D Mark2らしかった。けど、良いカメラを使っている割には来た写真は酷い物だった。
画像を開いてみるとまず露出がバラバラ、黒い靴は明るく、白い靴は暗く写っていて初心者が撮った写真みたいだった。
思わず「オイオイ物撮りをAEで撮るなよ馬鹿」と独り言を言ってしまった。
ホワイトバランスもバラバラでグレー部分が赤っぽかったり、黄色っぽかったり、一応グレーカードを一緒に写し込んではあるのだが、それ以前にホワイトバランスがオートになってるのが信じられなかった。
こんな素人レベルでもカメラマンとして飯食ってるんだなあ〜〜と、ちょっと悲しい気持ちになった。
画像はTiff入校、Exifを見ると撮影に使用したカメラはEOS 5D Mark2らしかった。けど、良いカメラを使っている割には来た写真は酷い物だった。
画像を開いてみるとまず露出がバラバラ、黒い靴は明るく、白い靴は暗く写っていて初心者が撮った写真みたいだった。
思わず「オイオイ物撮りをAEで撮るなよ馬鹿」と独り言を言ってしまった。
ホワイトバランスもバラバラでグレー部分が赤っぽかったり、黄色っぽかったり、一応グレーカードを一緒に写し込んではあるのだが、それ以前にホワイトバランスがオートになってるのが信じられなかった。
こんな素人レベルでもカメラマンとして飯食ってるんだなあ〜〜と、ちょっと悲しい気持ちになった。
Monday, August 02, 2010
「まにらで黄昏れ、酒を飲む」 その1
数年前、夏の終わり頃のある日、その頃俺はとある出版関連の制作会社でデザイナーをしていた。
いつも通り会社に行くと当時俺の先輩のサイトウさんという人がフィリピン行きの話をしていた。
何でも会社のデザイン制作現場を海外にも作れないか(人件費が日本よりかなり安く済むのでその分利益を出すのに有利だからという理由だった)という事でフィリピン行きの話を持ちかけられたらしかった。
サイトウさんに話を聞くと結構消極的だった、
「外国人にウチの仕事のやり方が出来る訳が無い。日本語の本しか扱ってないのにフィリピン人にどうやって作業させるのか!」
「それに俺は飛行機が死ぬ程嫌いなんだ!」
飛行機嫌いは関係ないんじゃないかと思ったが、それは言わずにおいた。
結局サイトウさんはそれから数日後の仕事の帰り、嫌々ながらも成田空港へ向かった。
サイトウさんがフィリピンへ行ってから数ヶ月ほどの間はいつも通りに仕事をしていた。
ディレクターが人員が減った事で時折愚痴をこぼしていたが、業務的には概ね問題が起こる事もなく日々を過ごしていた。
3ヶ月後、サイトウさんは帰ってきた。帰国前の噂では途中帰国予定だったのが会社側から一ヶ月滞在を延長され、酷くナーバスになっているとか色々良くない事も聞いて心配していたのだが、見たところ元気そうだった。
「フィリピンオフィスの話を本気でやるつもりなら全員の協力が無いと絶対に上手く行かない。」
と少々憮然とした感じで言っていた。
しかしながら上の方の話し合いでは全員の協力どころか「Sではダメだ他の者を行かせろ」といった話になってしまったらしく、他の者へ白羽の矢を立てることになったらしかった。
その白羽の矢がまさか自分にくるとはその時は考えてもいなかったし、「Sではダメだ」なんて話になった事を知らなかった俺は自分にその話が来た時「ヤリ甲斐がある仕事じゃないか」と思い快諾してしまった。
それからは今まで興味も無かったフィリピンという国の事を調べたり、現地入りしてからの仕事の為にアレコレ資料を準備したり、毎日忙しかった。
約1ヶ月後、フィリピン行きのフライトの為、仕事が終わると副社長の三田さんと車に乗ってホテルに向かった(お互い家が遠かったので、朝一番のフライトに乗る為には空港の近くで一泊しないと間に合わないのだ)。
その日の夕食は三田さんに最上階の鉄板焼きレストランでご馳走になった。そのとき食べたフィレステーキははっきりいってメチャクチャ美味かった。
翌日リムジンで空港へ向かいフィリピンエアに乗り、俺はフィリピンの首都マニラへ出発した。
つづく
いつも通り会社に行くと当時俺の先輩のサイトウさんという人がフィリピン行きの話をしていた。
何でも会社のデザイン制作現場を海外にも作れないか(人件費が日本よりかなり安く済むのでその分利益を出すのに有利だからという理由だった)という事でフィリピン行きの話を持ちかけられたらしかった。
サイトウさんに話を聞くと結構消極的だった、
「外国人にウチの仕事のやり方が出来る訳が無い。日本語の本しか扱ってないのにフィリピン人にどうやって作業させるのか!」
「それに俺は飛行機が死ぬ程嫌いなんだ!」
飛行機嫌いは関係ないんじゃないかと思ったが、それは言わずにおいた。
結局サイトウさんはそれから数日後の仕事の帰り、嫌々ながらも成田空港へ向かった。
サイトウさんがフィリピンへ行ってから数ヶ月ほどの間はいつも通りに仕事をしていた。
ディレクターが人員が減った事で時折愚痴をこぼしていたが、業務的には概ね問題が起こる事もなく日々を過ごしていた。
3ヶ月後、サイトウさんは帰ってきた。帰国前の噂では途中帰国予定だったのが会社側から一ヶ月滞在を延長され、酷くナーバスになっているとか色々良くない事も聞いて心配していたのだが、見たところ元気そうだった。
「フィリピンオフィスの話を本気でやるつもりなら全員の協力が無いと絶対に上手く行かない。」
と少々憮然とした感じで言っていた。
しかしながら上の方の話し合いでは全員の協力どころか「Sではダメだ他の者を行かせろ」といった話になってしまったらしく、他の者へ白羽の矢を立てることになったらしかった。
その白羽の矢がまさか自分にくるとはその時は考えてもいなかったし、「Sではダメだ」なんて話になった事を知らなかった俺は自分にその話が来た時「ヤリ甲斐がある仕事じゃないか」と思い快諾してしまった。
それからは今まで興味も無かったフィリピンという国の事を調べたり、現地入りしてからの仕事の為にアレコレ資料を準備したり、毎日忙しかった。
約1ヶ月後、フィリピン行きのフライトの為、仕事が終わると副社長の三田さんと車に乗ってホテルに向かった(お互い家が遠かったので、朝一番のフライトに乗る為には空港の近くで一泊しないと間に合わないのだ)。
その日の夕食は三田さんに最上階の鉄板焼きレストランでご馳走になった。そのとき食べたフィレステーキははっきりいってメチャクチャ美味かった。
翌日リムジンで空港へ向かいフィリピンエアに乗り、俺はフィリピンの首都マニラへ出発した。
つづく
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